ドビュッシーの独特の和声感、楽曲はどこからきたのか。自分が知っている範囲だと、どうもドビュッシーで一気に飛躍してる気がする。もうちょっと知らないピースがあるのではないか。ロマン派の和声はあまり興味ないが、大好きなベートーヴェンとドビュッシーの間をつなげたい。
リストの革新性

- 作者:オリヴィエ アラン
- 発売日: 2010/06/29
- メディア: 単行本
この本によると、和声の発展、崩壊にはリストの貢献が大きいらしい。ワーグナーはリストの一面、半音階主義を発展させた、という位置付け。
(114頁)ヴァーグナーとロシアの作曲家たちとの先駆者であったリストは、最終期の驚くべきスケッチでは彼らをも超越しており、一方ではバルトークを(不協和音程の活用、二度・四度・五度の平行)、他方ではシェーンベルク(『灰色の雲』の無調的汎半音階主義)を予告している。だがあまりに性急で、即興的であるため、革新者としてのリストが創造家としてのリストを、むしろそこなっているくらいである。
ヴァーグナーの一貫した意思と強力な構成力は、この危険から彼を守った。出発点ではそれほど早熟でも独創的でもなかった彼は、けっきょく最後には、より確実に作品を築きあげていったのである。リストが示した、古い旋法や民俗的音階への復帰の傾向は、彼にはほとんど影響を与えなかった。ヴァーグナーがとびこんでいったのは、リストによって開かれた半音階主義への道であった。リストの場合はーー宝石がそこここに散らばっているようにーー新しい発見がたえまなく彼の進化を飾っているのに反して、ヴァーグナーでは『タンホイザー』以後に、ひとつの大きな変化がある。...
リストの影響は大きくは二つに枝分かれする。
(116頁)リストを出発点としてヴァーグナーに受けつがれた半音階的方向は、とりわけレーガーをとおしてシェーンベルクに達し、ロシア派とフランス派に受けつがれた旋法的方向は、ムソルグスキーとドビュッシーにいたる。リストが示した、半音階主義と旋法主義とのある種の均衡は、中間的解決に達するだろう。それがバルトークである。
ベートーヴェン以降は古典的な機能和声が省略されたり重なったりして、和声の発展という意識はなかったかもしれないが結果的にいろんなハーモニーが生まれていたようだ。
ここで紹介されてる『暗い雲(Nuages Gris)』という曲はわりと重要なピースかも。同じくリストの「無調のバガテル」よりも浮遊感があるな。無調のバガテルは調性から逃れることを意識しすぎてそれはそれで別の力学が生まれている、みたいな感じかしらん。
ムソルグスキー
有名な展覧会の絵を改めて聞いてみる。
和声の機能ではなく旋法を重視、というのはなんとなくわかりますね。ベートーヴェンの何かを断言するような厳しさはなく、洒脱な空気がある気がします。
間接的な要因
(258頁)ドビュッシーは、理論で組み立てられた「抜け目のない」音楽を批判し、音楽家たちが自然の中に存在する音と無関係であることに危惧をいだいていた。(中略)ドビュッシーにとって、音楽を作るということは、あらかじめ作られた理論や形式によって音を配置することなどではなく、自然と向き合い、そこからわきあがるものを創造することであった。
この本にドビュッシーの著書『反好事家八分音符氏』からの引用があり、それによると「屋内の演奏会場では異常に聞こえるような和声の連続が、野外ではきっと正当な評価を受けることだろう」とも書いている。
ドビュッシーはピアノ曲ばかり聞いていましたが、歌曲も多いらしい。
http://www.miyuki-ito.com/Miyuki_Ito/Publication_files/Debussy-2014-9.pdf
ドイツのリートを築いたシューベルトをはじめとするドイツ・ロマン主義の作曲家たちとは異なった歌曲の方向性が、ドビュッシーによって培われたのである。リートは、ドイツ語特有の強勢アクセントを生かした歌曲であるのに対して、フランス語の特徴となる子音による囁き、繊細な響きを生かして、流動的な旋律線を音楽的に表現した歌曲が、ドビュッシーの作品である。
つまりリスト由来、ロシア経由の旋法的作曲が、ドビュッシーの自然志向やフランス語を使った歌曲を触媒として生成されたのがドビュッシーの音楽なのではないか。
ドビュッシーの曲
ここでドビュッシーの曲に戻ってみた。初期の「ベルガマスク組曲」を聞く。これでつながった気がする。フランス風の旋法的作曲というので納得が行きました。
おしまい。