3分のポップスはもう長すぎるのではないだろうか2

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と、書いてみたもののこれは頭の中で考えた理論の話で実感がない。実際そういうつもりで曲をパブリッシュしようとしているのだが不安でなかなか手元から離すことができない。音源主義でずっとやってきたのでそのくせが抜けないのだろう。

音源主義の頃はとりあえず自分の手元で最終形まで持っていき、それをレビューすることができた。しかし今回は、自分の手を離れる時に二つ、かなり大きな穴が空いている。バンドメンバーに埋めて欲しい穴と、リスナーが聞いて埋める穴だ。しかし今後長くバンドやっていくならさらに穴は今後増えていくだろう。

さてどうするか。曲の「枠」について考えてみよう。穴は開いていても自分が決めた曲の枠はキープすることができるのではないだろうか。ちなみに枠=形式と考えて良い。

参考書はこれ

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

人が音楽を聴く時、どういうふうに解釈し、楽しんでいるか。好みとはどうやって形成されるか、について書かれた本です。自分はこれを読んで自分の音楽の聴き方や、逆に聞かせ方のスタンスについてかなり整理された気がする。

ものすごくざっくりいうと「西洋音楽は"8小節1セット"の枠を意識して聞かれている、だから成立する」みたいな話です。昔「ジャズのライブで曲中に拍手が起こるのってなんでなんですか?」って聞いてきた人がいてびっくりしたんですが、ジャズは(全部ではないが)楽器のソロが聴きどころで、各演奏者のソロが終わったらみんな拍手とかしてアゲてくんですよね。ジャズが好きな人はそういう枠が分かった上で聞いている。
ソロのこと知らなくても、独特な和声感やスウィングするリズムを聞いて「あ、ジャズだ」と認識してそれが好きな人もいます。そんなときに突然ロックのビートが入ってきたら、ジャズを聴きにきた人はびっくりしてがっかりする。そういう風に評価が下される、という話ですね。実際にジャズとハードコアが入り乱れるジョン・ゾーン(Naked Cityだっけか)とかもありますが、好きな人はああいう「突拍子もない」という形式を楽しんでいるんだと思います。それ込みの形式というか。

本の話に戻って、この本でモーツァルトのある逸話が紹介されています。モーツァルトから父に宛てた手紙からの引用です。

ちょうど第一楽章アレグロの真ん中に、たぶん受けるにちがいないとわかっていたパッサージュがありました。そこで聴衆はみんな夢中になって――たいへんな拍手喝采でした。[中略]当地では最後のアレグロはすべて、第一楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていたので、ぼくは二部のヴァイオリンだけの弱奏で八小節だけ続けました。――そのあとすぐ強奏がきます。――すると聴衆は(ぼくの期待した通り)弱奏のところで「シーッ!」――つづいてすぐに強奏――それを聴くのと拍手が鳴るのと同時でした。――そこでぼくはもううれしくって

岡田暁生. 音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.115-121). Kindle 版.

これはとてもわかりやすい例。モーツァルトが次から次へと名曲を書けたのは、ただ優れた霊感だけによるものではなく、聴衆のツボをよく心得ていたというのが大きいんじゃないだろうかと僕は考えてます。父親からの英才教育で当時のあらゆる作曲の語法を身につけ、さらにそこに幼少期からの場数の多さによって「どういった時にどういった演出をすればウケるか」を身につけていたからこそ、迷いなく次から次へと名曲を書くことができたのではないか、というわけです。


自分がなかなか曲を完成させられない時、焦点がブレてると思うことが多々あります。「この先どうするかな〜こういう曲にするならこっち、しないならこっちだなあ」といって分岐がどんどん生えてくる。そこで基準がないから、なんども悩むことになったり、初期の選択肢と後の選択肢で整合性取る必要が出てきたりする。何より決断って体力使う。

なのでここらで自分の曲の 枠 - waku - を決めましょう。

  • 枠ができると何がうれしいか。
    • 自分の曲の枠が見えていることで、コントロールしやすい、安心できる
    • バンドメンバーにニュアンスを伝えやすい
    • リスナーの反応を評価する際の指標ができる

あたりでしょうか。


少し余談。かつて自分は「誰とも違う曲を作ろう」と思っていたんですが、実際完成した曲はどうだったのか。

頭の中であーでもないこーでもない、この展開はアレっぽい、アレっぽさを避けたい、と否定して否定して否定の末に作っていたわけですが、「ポップであること」は守りたがってたんですよね。でもポップであるということは、聴きやすいということ、聴きやすいということは既知の枠内にある、知覚可能な要素でできているはずです。

聴きながら分析してみよう。

  • 1曲目 "つがいの動物" (これ曲名ね)

    • バックグラウンドにブライアンイーノを意識したアンビエント
    • おぼろげながらも緊張感の持続するピアノのリフレイン
      • これ単体では特に枠にならないか
    • リフレインから旋律線ではなく、和音の変化とテンションの変化で、展開と着地を描く
    • サビの折り重なる感じはガムランとかかな
    • 【総評】構成要素自体はシンプルだが組み合わせの新規性はあると思うな。アンビエントと適度に緊張感のあるリフレイン、そのリフレインからの着地系のサビ、いいんじゃないでしょうか
  • 2曲目 "Happy Ending"

    • ABAのカタルシスあるサビを持つ構成はロック・ポップス直系
      • 3連はちょっと珍しい
    • バックグラウンドのうねるフィードバックノイズはフェネス参考
      • ノイズのうねりと、それをリードする勢いのあるピアノは
    • 【総評】つがいの動物同様、アンビエントなバックグラウンドとピアノの組み合わせ。あれ、この組み合わせやっぱりいいな。
  • 3曲目 "音楽を聴く時"

    • これも別にいいか。多分残りの二つと同じだな。ピアノとアンビエントの組み合わせ

なんと意外な結果に。要素に分解してみるとシンプルなものでした。ピアノ単体、アンビエント単体の新規性には乏しい、ただし組み合わせに新規性あり、という感じ。

では自分は何に悩んでいたのか?ポップな聴きやすいピアノのポップさの塩梅に迷っていたのだと思います。アンビエントと組み合わせる上で、過度に劇的にならないコード進行、適度に器楽的な旋律線、このバランスが結構難しいのかもしれない。

よくやってた「このコード進行ありきたりだな…」というのは割と考えすぎというか、結果的にあまり突飛な進行にはなっていないのでもっと安心してありきたりなコード進行使っていけばいいな。

あと自分の感性に沿っているか?という自問もめちゃくちゃしたな。なんどもリプレイ聞いて自分の心が動くかどうか。実際これは大事だと思うけど、ここについてはあまり答えは出てないな。枠の意識とピアノで新規性求めすぎないことを理解していけば、もっとここんとこフォーカスできるだろうか。


よし、余談おわり。枠を考えよう。今作ってる曲について。

  • 「ではない」もの

    • ジャズではない。
      • 楽器ごとのソロは配置するがスイングではない。
    • 謡曲ではない
      • 明確なメロディを持つが派手な展開や臭みはなるべく避ける
  • 「である」もの

    • エレクトロニカまたはアンビエントである
      • 前提としてバックグラウンドの電子音と絡み合うものである
      • 曲として一つの雰囲気、情緒を扱う
    • ポップスである
      • 決して難しくない
      • 展開として飽きさせない
        • やっぱりこれ大事だな

なんかザーッと書いたけどいい感じにまとまったな。「ではない」「である」で分けるのはいいな。適度に幅を持たせられそう


あと枠とは別の曲の考え方もあるとは思う。デザインをするように曲を考える、社会の中での役割、存在(というと大げさだが)を意識する…もっとおおらかでオープンマインドな曲もいいな。

素材として強度のある曲を作る、というのも良い。ジャズスタンダードは32小節の繰り返しで成り立つからそういう曲も作りたい。これはパブリッシュする勇気というのも必要になりそうだ。

非常に雑多な記事になったが自分的には実り多いものになったな、よし