ウェーベルン編曲のBWV1079

いやー、これは凄いです。僕かこれまでウェーベルのことほとんど知らず「近現代の前衛作曲家にそういう名前の人がいた気がする…」くらいの認識だったんですが、先日見に行った有楽町のラ・フォル・ジュルネでやられちゃいまして。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲4番」と一緒にウェーベルンの「弦楽四重奏のための緩徐楽章」が演奏されたんですがこれが素晴らしかった。

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冒頭から朗々と歌われる長く美しい主題が、現れては消え、現れては消え。もー、この主題がすでに素晴らしいのですよ。それと曲の構造が好きです。R.シュトラウスメタモルフォーゼンを聞いた時も似たような感覚だったのですが、これはなんと言えばいいんだろう。曲が絶頂に向かって、ゴールに向かって展開して盛り上がって、ではないんですよね。美しいメロディが次々に変化していくさまをただ眺める、という心地よさ。こういうの心地よくて好きなんです。


ウェーベルンの他の曲を聴くと、無調だったり難解だったり、確かに「現代音楽」って感じの曲が多くて、自分はその辺はよくわからないんですよね。 そんな中、自分でもわかる曲がもう一つありました。ウェーベルン作曲ではないのですが、J.S.バッハの「音楽の捧げもの 6声のリチェルカーレ(BWV 1079)」をウェーベルンが編曲したものです。

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これですよ。

たまーにですけど、演奏にくっついている「意味」が邪魔に感じるときがあるんですよね。どんなにさりげないメロディでも、そのメロディが続けば続くほど旋律線の形や演奏者の姿が立ち現れてくる。

僕は、音楽は絵の被写体や文章の風景描写、心理描写のように実世界との関係を直接的に持たなくても成立することが素晴らしいと思ってるんですよ。場合によるけど、基本的にメタな情報は少ないのが良い。

このウェーベルン編曲のBWV1079では通常6つの声部に1つずつ楽器を割り当てるところを、1声部のメロディを細切れにして次々に演奏楽器を置き換えていくんですね。これが旋律線や演奏者を見えなくしてくれる。 演奏や旋律線を消したいならアンビエントミュージックでもいいんですけどね。実際今のところ僕はこの曲とアンビエントを同じような感覚で聞いている。ただ、この曲はアンビエントにはないダイナミクスと細切れの演奏にギリギリ残された感情があって、今はそれがたまらなく好きですね。