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ナルチスとゴルトムントとハリー・ハラーと

ヘルマン・ヘッセ、かつて勝手に人生の師として著作を読破してやろうなんて思ってたのですがこの1年くらいはほとんど手をつけていませんでした。今朝目が覚めたら急に脳裏にヘルマン・ヘッセのこと、荒野のおおかみのこと、ナルチスとゴルトムンとのこととかが浮かんできたのでなんとなく勢いでガーッと書いてみようと思います。


荒野のおおかみ (新潮文庫)

荒野のおおかみ」では崇高だが凝り固まった自我のせいで生きづらさを感じている50代の男、ハリー・ハラーが主役です。彼は人生や日々の生活に疑問を持たない(彼にはそう見える)多くの市民とうまく交流することが出来ません。再会した古い友人の家でゲーテの肖像を見かけますが、ゲーテを崇拝するハリーはゲーテを"立派な"イメージで無批判に描いただけのその肖像に反発を感じる、というシーンがあります。そしてそこでゲーテがハリーの脳内に現れ「いちいち批判的な態度で挑むのではなく、一番大切なものだけを守ってあとは適当に生きたまえよ!」と、大体こんな感じのことを語りかけてきます。

僕はこのシーンにめちゃくちゃ心を打たれて、ハリーの気持ちは痛いほどわかるし、それだけにゲーテの言葉はその後の人生の救いになりました。

その後ハリーは「魔法劇場」へと足を踏み入れそこで再び自分の心と向き合い、かつて恋した少女に自分の気持ちを伝えられなかったことが尾を引いていることに気づきます。そして魔法劇場で自分の過去をやり直すことで彼は自分を救うことに成功します。確か大体こんな感じの話でした。

僕はこの「荒野のおおかみ」には頭が痺れるような衝撃を受けたのをよく覚えてます。ハリー・ハラーはおれだ!だなんて考えたものです。


知と愛 (新潮文庫)

「ナルチスとゴルトムント」では修道院で模範生だったナルチスのもとにゴルトムントという少年が現れるところから始まります。ゴルトムントは成績優秀なだけでなく、見目もよく、自然に周りから愛される才能を持っていました。ナルチスと親友となり一通りの修行を積んだゴルトムントは修道院を抜け出し世界を旅します。旅の中で彫刻という自分のやりたいことを見つけ、師についてそれに打ち込み才能を発揮し、ひとつの彫刻を完成させます。その作品は高く評価され、師に仕事としてやっていくよう引き止められますが作品にナルチスの顔を見いだしたゴルトムントは修道院に戻る決意をし、なんやかんやあって修道院に戻ります。

「ナルチスとゴルトムント」は大体こんな感じです。で、こちらも結構面白かったんですが「荒野のおおかみ」やヘッセで最初に読んだ「デミアン」ほどの痺れるような深い感銘は無かったんですね。結末がなぜああなるのかよくわからなかったし、恥ずかしがらずに言えば「自分の物語ではない」と思ったんです。


「ナルチスとゴルトムント」を読み始めたとき、「荒野のおおかみ」の続きなんだと思いました。「デミアン」から「シッダールタ」、「荒野のおおかみ」は物語としてのつながりは無いのですが根底には、成長と自己実現、世界との調和といった人生の諸段階が描かれているように思います。「荒野のおおかみ」でハリー・ハラー世間との折り合いをつけられるようになり、それからどう生きるか、「ナルチスとゴルトムント」はそれが書かれた話だと思いましたし、実際そうなんだと思います。ではなぜ読み終わったときに「自分の物語ではない」と思ったんだろう、というのが今朝ふとあたまに浮かんだことでした。

ゴルトムントは簡単に言うと天才です。無防備に人と接する子供のまま教養と人の愛を吸収し、自然の流れで自己実現を成し遂げます。ペストが流行していることから時代は中世で、ゴルトムントは社会を抜け出し野と山を駆けて放浪の旅をするのです。何が言いたいのかというと、ゴルトムントは一種のシミュレーションだと思うのです。一番理想の生き方は何か。社会に縛られず愛され試練を受け成長し、そうして得られる精神は何か。そういう話だと思うのです。

やはりそれは現実的ではない。矮小になってしまいそうですが、仕事もあれば社会という煩わしいことの多いなかで人は生きているのです。ハリー・ハラーはそういった中で自身を見いだした男ではなかったか。そこにモテモテで好き勝手生きるゴルトムントなんて出されたらアンタ、素直に受け入れられませんがな。

ゴルトムントは旅を終えた後に修道院のナルチスのもとに戻り、仕事を持ちしばし定住します。しばらくして再度旅に出るのですが、その時点で物語はナルチスの視点になり程なくしてゴルトムントが怪我をして帰ってくるのを迎えます。そして死を目前にしたゴルトムントと言葉を交わし「ゴルトムントの最後の言葉は、彼の胸の中で火のように燃えた。」で話は閉じられます。

なんでゴルトムントは死ななければならなかったのか?その疑問も僕がこの話を受け入れられなかった理由の一つだったのですが彼の存在は理想であり夢だったのではないかと今は思います。そして社会に生きるナルチスにその心は継承される。

発表順で行くと次は「ガラス玉遊戯」で、これは話によるとナルチス側の、規律や社会規範をベースにした話らしい。そしてヘルマン・ヘッセの最後の長編だとか。なんとなくもったいぶって読んでなかったけどそろそろ読むべきかもしれない。

ヘルマン・ヘッセ全集 (15)ガラス玉遊戯