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フリージャズとは何なのか

今日、オーネットコールマンのDancing in your headを聴いたんですよ。

ダンシング・イン・ユア・ヘッド

ダンシング・イン・ユア・ヘッド

この強烈なジャケ!

このアルバムではオーネットコールマンのサックスは途中で何度か"キメ"フレーズがあるものの基本的には同じ旋律をひたすら演奏していて、その後ろではギター、ベース、ドラムが合ってるんだか合ってないんだかわからないような演奏をしてるんですね。で、それが凄く活き活きしていて、それぞれの存在が際立ち、鮮明に浮き上がってくるような素晴らしい演奏なんです。

このアルバムの立ち位置は正確には存じないんですが、オーネットコールマンという人はフリージャズの急先鋒であり、賛否巻き起こした人なんですね。なのでこのアルバムはフリージャズということに、とりあえずここではそうさせてください。

それでですね、このアルバムは前に聞いたことはあったんですがそのころはピンと来ていませんでした。フリージャズという言葉を先に知っていて、そのころの僕は「適当にやるだけなら誰でも出来る」「どんづまりから強引にでっち上げた音楽じゃないか」だなんて反発してたこともあって変に偏見を持っていたんでしょう。確か「悪い」とは思わなかったけど「ふーん」くらいにしか思わなかった気がする。


その後、いろいろと音楽を聴いて、それから本とかも読みました。するとジャズ史に関わる本では必ずオーネット・コールマンが出てきますね。それでオーネット・コールマンが語られる際は、「民族的」「民族性」・・・「民族」といった単語が出てくるように思います。土着、などのニュアンスでしょうか。

ちなみに読んだ本はこの辺です。

生きているジャズ史

生きているジャズ史

キース・ジャレット 音楽のすべてを語る (JAZZ LIFE BOOKS)

キース・ジャレット 音楽のすべてを語る (JAZZ LIFE BOOKS)

後者の「キース・ジャレット 音楽のすべてを語る」、これは必読!いつかブログに書きたいと思っていますが、凄い本です。今の自分の土台のひとつですね。


オーネットコールマン、昔はよくわからなかったけど数年を経て今聞くと彼がやっていたこと、ひいてはフリージャズの背景にあるものがわかる気がしました。

フリージャズというのはジャンルじゃなくて、概念なのかなと思います。そういえば「思想」としている文言をどっかで見た気がする。じゃあ僕もフリージャズは思想、と言っておこう。つまりフリージャズ自体は流れる音楽を定義していない。

音楽の成り立ちという盛大なテーマについては語れませんが、民族音楽を聴いたり、それに関する文献を読む限りではプリミティブな、原始的な音楽というのは単純な旋律とリズムの繰り返しでできている、と言えそうです。大昔は世界中の音楽がそんな調子で、身近なものを使ってリズムや旋律を奏で、あらゆる民族がこの世界から音楽を汲み取ってきました。

やがて、現在「クラシック音楽」と呼ばれている西洋音楽がヨーロッパのあたりで生まれて、その理論と演奏のための楽器が発明され、どんどん発達しながら現在に至ります。ジャズで使われる理論や楽器や西洋音楽由来のものです。西洋音楽は世界中に拡散し、フリージャズが生まれた1960年代は西洋音楽の理論や楽器がある状態が当たり前となっていました。現代の世界は西洋音楽以前の世界とはまったく異なるものです。

そこで、現代のプリミティブなことはなんなのか。あえて調律のされていない笛を吹いたり木片を叩いて演奏することがプリミティブなのか。そうじゃないだろう。もうこの世界には構築された理論と洗練された楽器が存在している。それを否定せず、世界をそれ含みで認識してからはじめよう。

ということでフリージャズが誕生したのではないかなと、思います。なので20世紀以降のこの世界を認識することに始まり、その世界から何を汲み取るか、という思想がフリージャズなのです。その世界から何を汲み取って演奏するかは演奏者によって異なるから、明確に音の定義はないんですねー、というのが僕の今の見識です。

だから「適当に演奏するだけなら誰でも出来る(理論は必要ない)」というのもフリージャズだと思うけど、もしプロなら理論とかを理解したうえで、つまり今ある素材を全て認識した上でフリージャズしたほうが誠実かなーと思います。めちゃくちゃに演奏してる人の演奏は割と似たような感じになりがちだしね。演奏者はちゃんとビジョンとか持たないと。川から水を汲み取るなら器は自分で作らないと、と思います。