本当は聞こえていたベートーヴェンの耳

という本を読みました。


今度東京春祭に行くので、それに先がけてベートヴェンをちゃんと勉強して、聴いてみようと思い立ったのが3週間ほど前。ちょうど同時期には「現代のベートヴェン」と宣伝されていた佐村河内守氏のカミングアウトがテレビやネットを騒がせていました。

そんなある日勤務前に図書館に立ち寄りベートーヴェン関連の本を物色しているとこんな本が。

本当は聞こえていたベートーヴェンの耳

本当は聞こえていたベートーヴェンの耳

なんかタイムリーだな・・・と思いつつも借りて読みましてその感想をつづろうと思うしだいです。

何の前知識もないがとりあえず読む。

新聞社のボン支局(ドイツのボンはベートーヴェンの出生地)に勤める五島勉は日本からやってきた老人の車のトラブルの手助けをしたことがきっかけで、その老人の「ベートーヴェンは本当は耳が聞こえていた思うんだよ」という話に付き合うことになる。その老人とは別れるが、後日その老人からベートーヴェンの耳についてのレポートが届く・・・。そこまでの物語が序文で、そのレポートの内容が本文という構造です。

それで帯とか見てみると、この著者さんは若い頃に聴覚障害をお持ちだったそうで今は手術で快復されたそうなのですが、障害に悩まされた経験やそのときの気持ちをベートーヴェンに当てはめると、楽聖の気難しいとされた性格や不可解なエピソードが良く理解できると。その視点からベートーヴェンという人物を紐解いていこうという本でした。


この本によると難聴にも種類があって、ベートーヴェンは楽器の演奏は聞こえるが人との会話は困難であるタイプの難聴だったのではないかという。耳の中にあるあぶみ骨が硬化するタイプの難聴では、鼓膜が振動しづらくなるが体の骨が音の振動を伝えるため、そのような聞こえ方になるのだそうです。

そのような症状を「耳硬化症」と呼ぶのだそうですが、もしベートーヴェンが耳硬化症であれば、

  • 大学の聴講をすぐにやめてしまったのは聞こえなかったから
  • オペラを書かなかったのは楽器と違い遠距離の歌声を聞き取れなかったから
  • 人嫌いで無愛想に思われているのは耳硬化症には良くあること
    • 若い頃からの難聴は周囲の理解を得られないことに辟易し、段々とコミュニケーション不全となっていく傾向は避けられない、と筆者は経験から書いています。

といった様々な点で合点がいくのだそうです。さらに決定的なものに

  • 女性と話す(口説く?この辺は不明とされていた)ときに弟子にピアノを演奏させた

というエピソードが挙げられます。これも耳硬化症特有の症状で、騒がしいなかではかえって人の話し声が聞き取れるのだそう。

これらの説明を、現在のベートーヴェン研究において一次資料となっているものから時系列順にピックアップしているため説得力は十分ですが、その一方で

  • ベートーヴェンの女性関係は華やかだった」というヴェーゲラーの記述は、妻であり共通の友人でもあったロールヘンに対する牽制だった

とする説などは暴走気味に思えました。仮説に仮説を積み重ねていく流れには少し着いていけなかったです。


この本に書かれている説を信じるかどうかで言えば、自分は信じるというスタンスを~、と繋げたかったのですが現在では広く知られた認識(仮説の一つ)のようです( ベートーヴェン 耳硬化症 - Google 検索)。この本がどういった立ち位置なのかちょっとわかりませんが、「耳硬化症説」の裏づけを丁寧に説明してくれるものだと思います。

本書では「耳硬化症」について、その症状と筆者がかつて体験した生活の困難さ、そして周囲の理解のなさがくりかえし述べられます。ベートーヴェンよりも作者自身の主張は「難聴への理解と協力」にあるように思えました。僕は見事に釣られた形かもしれませんね。別に構いませんが。

【補足】
この本では「そもそも耳が全く聞こえないのに200年先も聴き継がれるような曲が書けるのだろうか?」という疑問が基盤の一つになっていますが、多分書けるんじゃないかと思います。当時のクラシックの音楽は今のポップスよりも厳格な決まりごと(理論)のなかで作曲をしていたので、その理論に精通していた作曲家であればその知識と後天的な難聴であればそれまでの経験で絵や文章に近い感覚で曲を書けたんじゃないかと思います。

P.S
それでサムラゴーチ氏の難聴は結局なんだったんだ?ニュースとかちゃんと追ってないからわからんが。あれはそもそもゴーストライターだったそうだから駄目か。